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保護者を泣かせる「ありがとう」のスピーチ

浅川 清(TOSS相模原)

 卒業を前にした最後の授業参観には、それまでの学校生活で学んだものの全てを発表させたいと思う。 だから、四十五分の中にありったけのものを詰め込んだシナリオを書く。

 暗唱、なわとび、歌、ダンス、評論文、シンクロナイズド空書き、漢字作文、詩、絵、けん玉・・・子ども達が、がんばって身につけてきたと思えるもので発表できるものは全て詰め込む。

 そして、その様々な発表のラストを飾るのが「ありがとう」のスピーチである。

 保護者を泣かせる「ありがとう」のスピーチの指導記録を以下に示す。

 

(1)次のようなプリントを配り、「ありがたいなあ」と思ったエピソードを書かせる。

○○○さんのことを「ありがたいなあ」と思ったときのことを、できるだけ詳しく、その場面が目に浮かぶように書いてみよう。ひとつひとつの文は、なるべく短くしよう。
○○○さん、ありがとう。
エピソード百パーセントのスピーチにする
ことが、ポイントである。

 「ありがとう」を言う相手は、おうちの方でも友達でもいいことにする。

 早く書けた子の原稿をいくつか取り上げ、よいところをほめながら読んで聞かせる。
なかなか書けないでいる子の参考作品とするためである。

 全員、エピソードが書けたら、次へ進む。


(2)個別評定で話し方を磨く

一時に一事の原則で、課題をひとつずつクリアーさせ
話し方のレベルアップを図る。

第1段階・原稿が「スラスラ」読めるようにする。
第2段階・「聞き手に届く声で」読めるようにする。
第3段階・「間や強弱や緩急を考えて」読めるようにする。
第4段階・「聞き手の方に目を向けて」話せるようにする。
第5段階・「話にふさわしい顔で」話せるようにする。

  どの段階も次のように進める。

@課題を示す。
A練習時間を取る。
B個別評定をする。
C課題が達成できなかった子には、再挑戦させる。

  第1段階の個別評定の際に、「聞き手に届く声」の子を、ほめておく。

 ○スラスラ読めています。声もいちばん後ろまでしっかり届いています。12点!
 ○スラスラ読めるし、声も力強くていい!12点。
 ○ピーンと張った声がとてもいいです。耳にスッと入ってきます。12点!

  同様に、第2段階の個別評定の際には、「間や強弱や緩急を考えて」読んでいる子を、ほめておく。

 ○よく聞こえます。おまけに「ここぞ!」というところで、間を取ってるね。すごい!14点。  
 ○声がよく響いています。強調したいところで声を強くしていました。14点!
 ○いい声です。ゆっくり読むところと速く読むところを意識していました。14点!

  第3段階、第4段階でも、同様に1段階先の課題をクリアーしている子をほめておく。        
  それが、これからその段階を目指す子の手本となるからである。

  なお、言うまでもないことだが、どの段階においても、その時間内に、全員合格を保障しなければならない。その見通しがなければ、個別評定はするべきではない。


(3)BGMが流れる中、体育館の舞台の上でスピーチ

  さて、第5段階までの個別評定が終わり、全員が16点以上を取り自信をつけたら、いよいよ授業参観、本番である。

  様々な発表を終え、全員が舞台に並ぶ。静かなBGMが流れる中で、「エピソードで語るスピーチ」開始である。

 友達への感謝を語る子、母への感謝を語る子、将来の夢を語る子、どの子のスピーチも心に響き、参観のお母様方のほとんどが涙ぐむ。

 子ども達のスピーチ原稿のいくつかを紹介する。

 今から四年前の冬、ぼくが新潟に住んでいた時のことです。
 その週は、給食当番だからマスクを用意しておかなければなりませんでした。でも、ぼくはマスクがないことに夜の九時すぎに気付きました。
 そのことをお母さんに言ったら、お母さんは外へ飛び出して行きました。三〇分したらお母さんが帰ってきて、ぼくにマスクを渡してくれました。外はすごい雪だったのに買ってきてくれました。
 お母さん、ありがとう。

 ぼくは、去年の十月、軟式野球をやめて硬式の相模原シニアに入りました。
 お母さんは、「きついけど、ついていけるの。」
と、言いました。                                      
ぼくが、きつい練習についていけるかどうか心配してくれたのでしょう。
 ぼくは、
「ついていけるよ。」
と、言いました。
 練習場所は、昭和橋の近くです。ぼくはまだ小学生なので、お母さんに練習場所まで送り迎えをしてもらっています。
いそがしいのに、ぼくのために送り迎えをしてくれて、お母さん、ありがとう。

私が、
「二重とび、とべない〜」
と話したら、お母さんが、
「じゃあ、練習しよう!」
と、私をさそってくれました。
私がとんでみせたら、手首の回し方やあしのまげ方などを注意して直してくれました。
「とべな〜い」
と言いつつも、私は寒い日も練習しました。
何日かたって、体育に授業中に私は二重とびが続けてとべるようになりました。
「今日、体育に時間に七回とべたよ!」
と報告すると、お母さんは
「やったじゃん!」
と、一緒に喜んでくれました。
 お母さん、ありがとう。

 私が昔、肺炎にかかって大変な思いをしていた時、いちばん心配してくれたのはお姉ちゃんでした。三九度の熱を出して病院で順番を待っていた時、「寒い」と言ったら毛布をかけてくれて、「熱い」と言ったら冷たい飲み物を持ってきてくれました。
 母親代わりの姉は、家でいちばん働いているといってもおかしくないほど働いていました。炊事、洗濯、掃除、お店の仕事以外のことも、ほとんど姉がやっていました。私が幼稚園に上がった頃、一五才の姉は、すでに家のほとんどのことをやっていました。
 姉が小さい頃は、父は働きに出ていたので、姉はいつも一人のカギっ子でした。でも、私にはそんな思いはさせたくないと言って、二一才の今も、家のことをやってくれています。
 お姉ちゃん、本当にありがとう。
 今度から、お姉ちゃんが楽しみにとっておいたお菓子を勝手に食べたりしないから、安心して下さい。

 私が転校してきて、何も分からない時、気軽に話しかけてくれて、いろいろなことを教えてくれたのは、阿部さんと桃井さんでした。
 休み時間は一緒に遊んでくれたり、毎日一緒に帰ってくれたりしました。
 転校してきた時は、とても不安だったけれど、二人が話しかけてくれたおかげで安心しました。
 阿部さん、桃井さん、ありがとう。

 十月の中頃、くすのきフェアも終わり、学校全体が落ち着いてきた頃、私は長かった入院生活から普通の生活にもどり、学校にも通えるようになりました。
 その時、いちばん喜んでくれたのは、阿部さんと宇田さんでした。二人が大喜びしてくれて、私もとてもうれしかったのを覚えています。
 「心の友」と書いて「心友」の阿部ちゃん、宇田ちゃん、ありがとう。

 中学の受験前の一月三十一日に、五人の友達が私に、お手紙が入っているお守りをくれました。
 受験直前で、とても不安な時だったので、すごくうれしかったし、がんばろうという気持ちにもなりました。
 こういう時に励ましてくれる友達がいて、本当によかったなと思いました。
 東さん、久保田さん、野田さん、宇田さん、清水さん、ありがとう。

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