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「教師修行十年」を読み返す できない子が教えてくれた10の事実から学ぶこと
「できた!」を保障する教師の執念

浅川 清(TOSS相模原)

 ページを開いてすぐ、扉の詩から圧倒される。たったの五行の中から、何と多くのものが伝わってくることか。

  一人一人の子どもの内面をキャッチする鋭敏な感性。

  一人一人の子どもの可能性を頑固に信じ、伸ばそうとする執念。

 しばらく、このページで目と手が止まってしまった。この五行の向こうから、いくつものドラマが見えてくるような気した。

1.「できた!」が「生きていく気力」を育てる

 〈できない子〉をできるようにするのは、〈できない子〉だけのためではない。子どもにとって宿命的ですらある固定的な構造を変えていくことによって、〈できる子〉もまた、変わり始めるからである。  (P9より)

 とび箱をとべるようにした実践を例に、「できた!」が生きる気力を育てるのだという主張が述べられる。

 たかがとび箱だが、今までとべない子がそれをとんだ時、その子にとっては涙が出てくるほどうれしいことであり、自信の回復につながることになるのだ。(P10より)

2.「できた!」が子どもを変える

 最後の一人までとび箱がとべた事実が、「とべていた子」までをも変えていく。


 「私はびっくりして、その人と先生に拍手をしました。私は先生が私たちをよくしてくれるのだから、私もがんばらなくてはいけないと心で思いました。」(P8より)

 「だめだと思われていた子」を変えることで、クラス全体を変えていく。 

 クラス全員、一人残らず、三十三名の腕が天井に突きささるように上がったのだった。一人一人にぼくが話しかけてもこうはいかない。吉岡が手を上げたからこそ、他の子も手を上げたのである。 (P19より)

 「できる」と思われていた子達が間違え、「できない」と思われていた子が正解するという、鮮やかな逆転現象を仕掛けることで、子どもたちを根底から変える。

 この信じられない出来事に、教室中はシーンとしていた。子ども達の中で、何かがガラガラと音をたてて崩れていくのが、聞こえてくるようであった。
「できない」と思われていた子によって、クラス全体の前進の始動がされたのであった。 (P28より)

 登校拒否の子を「登校できる」ようにし、生きる気力を獲得させていく。

 卒業パーティーを学校でおこなったとき、原のいる班は、登校拒否のことを劇化した。コメディタッチの作調であったが、最後に彼は作文をよみあげた。自分の今があることに対する、多くの先生や友人や親達への感謝のことばであった。参観していた母親達は涙をぬぐっていた。その作文の内容も朗読も実に堂々とした品格のあるものであった。 (P56より)

「ぼく死にたいんだ」とつぶやき、ひどい暴力を繰り返していた子を、「全く別人のように」変えていく。
 多くの人の言葉によると、顔つきまで変わり全く別人のようになってしまったということだった。    (P85より)

3.「できた!」という事実を生み出す向山実践・10のキーワード

@ひとつの事実から最大限の効果を引き出す、卓抜な演出力


机の間をまわっている時に、ぼくはあることに気がついた。「やったあ」と心で思って、おごそかに仕掛けた。  (P26より)


 「できる」と思われていた子達が間違え、「できない」と思われていた子が正解するという場面を、これ以上はないという舞台を設けて演出している。

A「優等生」の底の浅さを見せつけられる、圧倒的な知性の高さ

 補教に行った教室でさえ、次々に「優等生」の底の浅さを見せつける授業をしている。

真に知的な授業は、必然的にそうなるのであろう。塾で習って「知って」いた子が、「とまどう」様子は痛快である。(P34〜36より)

Bどんな子に対しても「ほめること」を創り出せる眼力

 「ものすごい問題児」を、始業式の日に4回もほめている。そのうちの1つは、ほめる材料を「見つけて」いるが、残りの3つは、ほめる材料を「創り出して」いるとしか思えない。「このような場面を設定すれば、この子はこう動くだろう」と予測し、ほめているように、読めるのだ。 

C日々の事実の記録から、「原因」や「法則」を見つけ出そうとする分析力

彼の記録を毎日書き続けた。どんな細かい点でも記録した。例えば、五月二日に、彼は始めて荒れた。その事実を書いたあとで、考えられる原因として次の九点を分析していた。(P68より)

Dどんなに困難な場面でも、子どもに正対する勇気

Eどんなにギリギリの場面でも、覚悟を決めて信念を貫く度胸

 執念しかなかった。教え子を前にした教師の執念だった。夜中までもつきあおうと決意した。ここで負けたら終わりだと思った。「何時間でもやろう。昔九時間やったことがある」そう宣言した。    (P71より)

F子どもの可能性を信じて裏切られ、それでもまた信じる頑固さ

たった一つのドラマで、口先だけで人間が変わるのでしたら、教育ほど楽なことはないのです。反対に、何度も何度も失敗し、何度も裏切られ、何度もみじめな思いをし、そしてなお、その中に可能性を見出すことに教育の原点はあるのです。(P75より)

G目の前の子どもに合わせ、自己を変革していける強さ

未知の子どもの持ち寄る新たな資質・個性・困難との邂逅は、常に新鮮であり感動的であり劇的だ。新たな出逢いが新たな課題をもたらし、その課題への挑戦が新たな自分を発見させ自己を変革させていく。 (P84より)

H放課後の孤独な作業を続けられる誠実さ


子ども達の発表をぼんやりとしか思い出せなければ、その日の授業の反省もあいまいなものにならざるをえなかった。それは自分自身の仕事をいいかげんですませておくことであった。ぼくには耐えられないことであった。 (P88より)


I「もうだめか」と思っても、絶対にあきらめない執念


頭や腕にぶつけられ、いたかった。何でこんなことまでする必要があるのかという想いが頭をかすめた。ぼくだって、やっぱりかっこよくしていたいのである。指をふまれ、けとばされているうちにとべるようになった。  (P14より)

翌朝行ったら、どこにもいなかった。弟が縁の下をさがしてくれたがいなかった。何で俺はこんなことをしなくてはいけないのかと思った。手を抜こうかという想いがよぎった。(中略)〈それでも来るんだぞ。それでも来るんだぞ〉と、逃げ勝ちになる自分の心に言い聞かせながら帰途についた。 (P49より)

それにしても、この本に書かれた、教師修行の「十年」の何という密度の濃さか。

法則化初期の頃、「30代は(向山に追いつくには)手遅れです」と言われた、向山氏の言葉の意味が、読み返してみて、はっきりと分かった。

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